飛んだり跳ねたり回ったりするオタクの再出発ブログ

職場が廃業し再就職するも精神を病み療養生活に突入したオタクの再出発ブログ

怒り寂しさ悲しみは捨てられる!らしいぞ

パソコンから日記書いてます。
ついでにブログのテンプレも変えました。
パソコンから見たら変わっていると、思う。
まぁ、普段スマホからみるので分からないと思うけど・・・。


とりあえず、


ぶり返す! 「怒り」「さびしさ」「悲しみ」は捨てられる!
ぶり返す! 「怒り」「さびしさ」「悲しみ」は捨てられる!
すばる舎
Digital Ebook Purchas

↑この本読みました。
というか前からこういった心理学の本だったり哲学の本だったりを読んでだんですけど、読んでるだけならアウトプットできないよなぁと。
新しく感想用のブログ借りようか思案しつつ、ここで書いたらもしかしたら私みたいに困ってる人の助けになるんじゃないかなって思って。


ので、ちょっと試験的にやってみます。


~~ 本に書いていたこと ~~
全体を通して、「子供の頃に受けた心の傷が癒されないまま大人になるとそれが怒りや寂しさ、悲しみとなって現われる」みたいな内容。
対処の仕方としては、怒りや悲しみが沸いてきたとき、自分の感情(インナーチャイルド)に寄り添って認めてあげるということ。


これって、前に読んだハワイの考え方である「オ・ポノポノ」に似ているなぁと思う。
オ・ポノポノだと怒りや悲しみの感情が沸いてきたら、自分のウニヒピリ(要するに傷付いた幼い自分=インナーチャイルド)に「そっか、こんなに悲しいんだね」って沸き上がった感情をありのままに受け入れれば良いってあるんだけど、それと似ているなぁと。


つい嫌な感情がわいてきたら、私の場合は自分の感情にフタをすることが多いんです。
嫌な記憶がフラッシュバックしたとき「忘れろ忘れろ忘れろ」って強く念じるとその当時の記憶や感情が消えてくれるというか。でもこれって消えていなくて、ずっと心の中に残っているんですよね。だから同じような状況に陥ったときに当時の記憶や感情が爆発してしまう。
みたいな。


インナーチャイルドで思い出すことがあって。
なんか自分がいった内容を信じてくれない状況に陥ると怒りの感情が爆発することであるんですよ。嘘ついてなくて本当のこといってるのに、相手が私のことを疑っていると思うと「どうして信じてくれないんだ!」って怒りが沸いてしまう。私が怒り出すから相手も嘘ついてるんじゃないか!ってますます疑ってしまう。みたいな。


んで、これってなんだろうって考えたら小学生の頃にお母さんが私の話を信じてくれなかったことがあったんですよ。洗濯機がティッシュ塗れになったことがあって、ポケットにティッシュいれたまま洗濯機に入れたでしょ!ってお母さんが怒って、どんなにいれてないっていっても信じてくれなかった。結局犯人はお母さんだったんですけど(もちろん謝ってくれませんでしたよ)。


母親が信じてくれなかった。


そのことが凄く、たぶん、私が思っている以上に心に傷がついていたんだなって。
だから、人に疑われると子供の頃の私が「信じて!」って怒り出すんです。
どうして信じてくれないのって。


さて。
ここで私のインナーチャイルドの傷が分かりました。
本に書いてある通りにしてみましょう。


当時のあの頃の自分に、今の私が「信じて欲しかったんだね」って心の中で語りかけます。
そしたら悲しい!悔しい!って感情がわいてくる。
その感情にたいして「悲しかったんだよね」「ごめんねっていってほしかったよね」って語りかけます。


これが受けいれる、寄り添う、っということ。
なかなか難しいんですけど、親友に寄り添う感じでやるみたいな感じです。
色んな感情が沸いてくるんですが、そのたびに否定せずに受入れる。
すると少し心が楽になる。


まぁ、この積み重ねで癒されていくのかなぁ。
そんな感じです。


んで。
本の中で自分のことがすきになれないメカニズムも書いてありました。
怒りがわく度に、相手を非難することができないから瞬時かつ自動的に自分が悪いと解釈して自分の怒りを抑えこむ、らしいです。


なるほどなぁー。
これちょっと分かる気がする。
相手が悪いっていえないとき、矛先が自分に向かうんですね。
自分だとどんなにけなしても誰も悲しい思いをしませんからね。


でも、それだと解決しないので。
じゃあどうすればいいのって話なんですけど、
自分の怒りの矛先を明確にしてその怒りに対して対処するんですって。
相手に直接言うことができないのなら紙に書いて明確化するとか。
ほほうって思いました。


あと劣等感についても書いてありましたよ!
これはなるほどなって思ったんだけど、
劣等感がある人ほど人に上下の格差をつける傾向があるんだって!
自分は優れていると心の奥底で思っているから劣等感が生まれるそうです。
そういえば、本当に敵わないと思っていたらそもそも劣等感が生まれないって何処かで読んだ気がする。


例えば私の場合、小説が面白い人に対して劣等感が沸いてきます。
これは私が小説を習っていたことがあって少しその方面を囓ってたんだよね、昔。
だから、「私だって能力さえあれば面白い小説書けるのに」って思ってしまう、と。
じゃあ、メジャーリーグで活躍している人に対してはどう思う?って言われると羨ましいだとか劣等感だとかそういった比較する感情が沸かない。
純粋にすごいって思ってしまう。
「能力さえあればメジャーリーグで・・・」なんて思わないんだよねw
「能力さえ」の「さえ」でさえ思い浮かばない。
このことは、私が小説方面に関しては「能力さえあれば面白いのが書ける」と思っていることを示唆していることになるわけだ。なんかえらく自信過剰だなw この日記だって支離滅裂だし、読んでる人は「それでよくまぁ小説習ったっていえるよな!」って思われるかも知れないw はい!これでも習ってたんだよ!文章読みづらいのは当たり前!だって私は直木賞も芥川賞も取ったことない一般人だからね!


さて、話戻すぞ。


でね。
他人が失敗したときにいたわりの心を持つ人でも、自分には厳しく責め立てる人がいて、
こういった人の場合は「他人が失敗しても当たり前だけど、自分は本当に優れた人間だ~失敗は許さない」という信念が潜在的にあるらしい。


こういわれると、
えー!私そんなんじゃない!
って否定したくなるでしょ?
でもね、一度みとめましょうw
自分を受け入れることが大事だからね!



つーことで。
なんかーだらだら書いたけど、
自分のことを見つめ直すきっかけになりました~


また何か本読んだからブログに書きます。
実は山ほど本が積んであるので、お楽しみにw


ではではー!